「ありのまま」と「わがまま」の境界線

自分軸

ありのまま自分らしく、自然体でいたい。

でも、ついつい人に合わせてしまって自分の意見が言えない。

自分のキャラじゃない自分を演じてると思うし、なんか疲れる。


幸せなんだろうけど、幸せを感じられないし、特に楽しいと思うこともない。

ありのまま、自然体の自分になったら、誰かに迷惑をかけるんじゃないの?

そもそも、「ありのまま」と「わがまま」の違いって何?


「ありのまま」と「わがまま」境界線ってどこなの?

人生の中で、そんなことを考えたことって、ありませんか?

そこで、「ありのまま」「自然」という言葉について調べてみたら面白かったのでシェアします。


早速ですが、結論です。

結論
「ありのまま」と「わがまま」の違いは、はからいや執着があるかないか。

え?何それ?
言ってることがさっぱりわからないんだけど???
ですよね。これはあくまでも私の独自の解釈ということをご承知おき頂きたいのですが、なぜこれが結論だと思うに至ったか、これから説明をしていきたいと思います。

まず、日本語の「自然」という言葉を調べてみたら、これには2つの意味があるそうです。

自然といえば、山や海、川、森などの環境や、動物や虫などの生き物、雨、風などの現象、人の手が加えられていありのままの状態や成行き。みたいな事を思い浮かべるし、辞書などで調べてもそのような説明がされています。
また、英語の「ネイチャー/nature」も同じく、人為を加えない自然界、物質界、自然の力などを示すとありました。 (因みに、「nature」はギリシア語の「physis /生まれる、生じる 」が語源です。)

日本語でも英語でも、どちらも「人の手の加わっていない環境や状態」をあらわしていますが、これは「あるがままの自然」です。 そして、私達が話す日本語の「自然」という言葉には、どうやらもう一つ、「秩序の中に広げられた自然」という意味もあるようです。

日本語の「自然」の語源は、古代インドで使われていたサンスクリット語の「スヴァバーヴァ/svabhāva」にあり、 インドから仏教が日本に伝わってきた際に日本にも入って来たそうです。 ちなみに、サンスクリット語由来の日本語は他にも、お盆、お彼岸、馬鹿、旦那、畜生、奈落、億劫、だるま、シャバ、花、人間、あうん、アバター、などなど、仏教用語を中心にたくさんありました。

そして、その「スヴァバーヴァ/svabhāva」ですが、スヴァ(sva-/自ずから)にブゥー(√bhU)/生ずる) が加わって出来きた言葉で、意味は「自性、他に依存することなく、自ら生ずる性質やもの」で、仏教では、人間も、その心も自然の一つと捉え、自分自身の内なる自然である心(煩悩)を超えて、自分自身と本当の自分自身(真我)が繋がっている状態を目指すという意味があるそうです。

つまり、 思いや枠をなくした上で、見えてくる「自然」な状態にあること、あるがままの「未開の自然」から、「秩序の中に広げられた自然」へと向かうこと、ということです。

日本語の「自然」は、本来は環境だけのことではなく、人間無しの環境という意味もなく、
人の生き方や在り方を表明する言葉として使われ、はからいや執着を離れた境地という意味としても好んで使われたという背景があるそうです。

「言霊/ことだま」という言葉がありますが、普段私達が使っている言葉の中には、こんな風に知ってか知らずか広がっている意味があるって、何だか面白いですよね。
*注: 私は仏教や言語の学者ではなく素人なので、解釈が大幅に間違っている可能性があります。どうぞ鵜呑みにしないでください。

まとめ
「ありのまま」と「わがまま」の境界線は、はからいや執着があるかないか

嫌われたくない、完璧な自分でいたいと、本来の自分ではないキャラクターを演じて相手に好かれても、本当の自分を愛してもらっている訳ではないので、十分に愛を感じられないし、満足できないし、つくりものの自分を演じていると疲れるし、自分の感性や感覚がマヒしてきて、何が楽しいかわからなくなります。

かといって、本音や思いをありのまま出していても、執着によって自分の要求ばかり通そうとしたり、感情のコントロールができなかったり、何のはからいもない物言いで言いたい放題だったりすると、それはただの自己中な「わがまま/あるがままの自然」状態。そんな時は自分の気持ちも苦しく感じることも多いでしょう。

対して、自分らしさの「ありのまま」は、執着がなく、はからいがあります。完璧でない自分や自分のいいところ、自分の価値を認めて、至らない自分を許して受け入れ、そのうえで成長していくという状態、「秩序の中に広げられた自然」です。

ということで、ありのまま、自分らしくあれるために取り入れたいセルフケアのアイディアです。
「なんか心が落ち着かないな、苦しいな。あれ?もしかして執着してる?」という時に、是非してみてください。

セルフケアノート

「私という自然」に向き合うメディテーション

下記の流れでしてみてください。

1. 深呼吸をする
苦しくない程度にゆっくりと息を吸い 苦しくない程度にゆっくりと息を吐く
吸う息と吐く息の長さが同じか、吐く息が少し長くなるようにすること。
そうすると、心身がリラックスしてメディテーションがしやすくなります。

2. 自然に呼吸をする
体という自然を 呼吸という自然を 心という自然を 優しくみつめるように感じます。
思い浮かぶ考えを、ジャッジしたり、コントロールしたりする事から離れて、
思いや枠をなくした上で見えてくる「自然」な状態を感じます。
ここでのポイントは、「感情」ではなく「思考」です。
思いや枠にはまった思考に惑わされずに「ありのまま」を見ましょう。

3.心が落ちつかない時は
こんなイメージをしてみてください。
お釈迦様のそばに、静かに動物達が寄り添っているような感じで暫し目を閉じる。
(ちなみに、自分が動物です)

これ、結構な即効性と効果を感じてます。よければやってみてください♡

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